【岐阜伝説の廃墟】岐阜県八百津町 ダムに沈む深沢峡で、廃墟茶屋 いさまつを撮影に行きました

雑記

2023年 6月に撮影 伝説の廃茶屋 いさまつ

この 伝説の廃茶屋 いさまつに辿り着くには、

2023年6月には非常に大変でした。

漢字で書くと「伊三松」らしいです。

この伝説の廃虚は、たくさんの方がブログに書いておりますので、

詳しい歴史は、いろいろあったようです(;’∀’)

向かう道は、ダム工事の為に、寸断されており、

土砂崩れにより、道はありませんでした。

この道も、本来は工事の為通行禁止でしたが、

看板に書いてあった電話番号に電話を入れて、

許可をいただき通行させていただいております(;’∀’)

かなり前から廃業しており、廃墟として、すでに何十年と経過しているようで、

ほかの方のブログでは、窓ガラスが残っていたり、

有名な医院の看板などもあったようです。

↓2011年時点ではまだ存在していたみたい・・・(林道・ダム・鉱山の勝手な記録Blog引用)

自分は、リアルに見ることは叶いませんでしたが、

現在の状態のいさまつを鑑賞することができて

非常に満足しています(+_+)

2023年6月の画像 下の画像と比べると朽ち具合が分かります(+_+)

↓こちらの画像は、HTENABLOG 週末大冒険さんから引用させていただきました。

 年代を考えるとこの画像は2006年以前ではないかと考える

まだまだ 窓ガラスも残っていて、建物としても

非常に綺麗な状態です。リアルに鑑賞できた方が羨ましい・・・・。

外観の状態を比べてみる

こちらが、2023年6月に撮影した外観

2011年では、まだかなり原型をのこしていますね (林道・ダム・鉱山の勝手な記録Blog引用)

12年経過してもなお、これだけの姿を残しているというのは、凄いですね。

やっぱり、家は木造で建てるべきだと思います(;’∀’)

茶屋 いさまつがある深沢峡とは?

木曽川の深い峡谷に高さ50m、長さ100mの吊り橋がかけられ、

日本12秘勝の1つとなっていましたが、

戦後、丸山ダムの建設によって峡谷はダム湖に変わり、

五月橋が架けられて観光船も走っていました。

しかし、現在、橋までの道路が壊れてしまい、五月橋、深沢峡を眺めることはできません。

新丸山ダムの建設に伴い、新しい五月橋への架け替えが計画されており、

近い将来、新たな深沢峡を眺めることの出来る日が楽しみにされています。

現在の五月橋 2023年6月

ちなみにこの日本12秘勝とは、昭和8年のサンデー毎日が推薦記事を書いたものであるそうで、

① 南十勝海岸の大景観(北海道)
② 菊池川水源(熊本県)
③ 八幡平(秋田県)
④ 弓削島、浜都湾(愛媛県)
⑤ 美ケ原(長野県)
⑥ 瀬戸三谷(静岡県)
⑦ 隠岐白島(島根県)
⑧ 深沢峡(岐阜県)
⑨ 雲出川上(三重県)
⑩ 上関(山口県)
⑪ 山野峡(広島県)
⑫ 多良岳と富川(長崎県、佐賀県)

これが、昭和8年に決められた12ヵ所

日本十二秘勝が掲載されているのは下記の雑誌(サンデー毎日)のようです。
①昭和8年8月6日号 ②昭和8年8月13日号 ③昭和8年8月20日号 ④昭和8年8月27日号
⑤昭和8年9月3日号 ⑥昭和8年9月10日号

昭和8年の雑誌を読むには、

国立図書館に行くか、毎月第一日曜日 リバーポート超絶蚤の市で探してください(^^♪

深沢峡には「深澤峡記念」なる石碑が鎮座しており、

かすかに「昭和十一年(と見える)」といった年号が確認できる。

なるほど日本12秘勝に選ばれた記念か、と納得。

昭和初期の初代五月橋と深沢峡のヤバい風景

初代五月橋の画像 (夢乃又夢ブログから引用)↓

昭和初期ってのは、恐ろしい時代ですよね( ;∀;)

ダムができる前のつり橋は渓谷の高さ50mの位置に架けられているのに、

手摺りとかあるように見えないんですが(;’∀’)

よく、考えたら、これ今から100年ぐらい前の姿ですよね・・・。

その5年後の昭和15年には、

さすがに立派な?手摺りが付いたんですね(^^)/

良かったwww

 なお写真は「瑞浪市史料集三 なつかしの写真集(瑞浪市民図書館刊)」より。初代五月橋の姿。

2023年6月の五月橋は渡れませんが、立派な鉄のつり橋です。

今から100年前と比べて、同じ場所とは思えません。

人間って凄いですね( ;∀;)

深沢峡の昭和12年の宣伝広告とダムに沈む前の様子

これは、絵葉書の写真と思われる画像です。

ネットからの拾い物ですが引用させていただきます。

昭和27年、下流の丸山ダム建設により深沢峡は沈んだ。

この画像のような深い渓谷は無くなり、

不幸明媚な景色は損なわれることになったのだ( ;∀;)

しかしながら、ダム湖となった後もその景色を求めて、

人々は深沢峡に足を運んだようでした。

そこに、茶屋 いさまつが存在した理由だったのでしょう。

深沢峡・茶屋 いさまつは、なぜ 廃墟化していったのか?

1983年9月28日に台風10号及び秋雨前線による集中豪雨が襲い、
深沢峡は壊滅的被害を受ける。

中部災害アーカイブスウェブサイトより引用させていただきました↓

その2年後の1985年1月には、災害復旧工事が完了したが、 道路幅員の狭さや落石の危険などの理由により、 その後も引き続き通行止め規制を行っており、現在まで規制されたままと思われる。
こうして深沢峡は観光地としての終焉を迎え、秘境となった・・・。

自然災害とは、本当に恐ろしいもので人間の作った橋などは、

一瞬で流されてしまう・・・。

茶屋 いさまつの2023年の姿

まだ 途中ですが、社畜ですので許してください(;’∀’)

続きを書いていきますので ごゆるりとお越しください(+_+)

コメント

  1. はじめまして。
    岐阜県在住の廃墟好きのオジイです。
    たくさんの廃墟の紹介、ありがとうございます。
    いさまつは私が訪問したときとそれほど変わってないようです。
    でも、五月橋は通行止めになってしまったんですね。
    (私の記事→https://coochanblog.com/archives/5158)
    しょうがないことですが、ちょっと寂しい気もします。
    これからも素敵な廃墟の紹介よろしくお願いします。

    • 忠太郎様

      コチラにも、コメントいただきありがとうございます。
      同じく 廃墟好きのじじいです(+_+)

      いさまつは、よく、ネットにも上がっていて、
      僕の中では伝説の廃虚として残っているうちにどうしても生で見たかった廃墟でした(^^

      もうすぐ、丸山ダムが完成すれば、五月橋や旅足橋といった素晴らしい建築物が姿を消してしまうかもしれないと思ったら
      いてもたってもいられなくなって・・・。

      建築現場の方が許可をくれたので、工事している道路を通って行ったのですが、
      途中、道が無くなっていて結構怖い思いをしながら向かいました(;’∀’)

      ブログ見させていただきました。というか、僕がブログを書く以前に何度も見させていただきました。

      感激です(;’∀’) コメントいただいて、めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます。

      忠太郎さんの記事を参考に、探索しました。
      おじいさんとか居るのかな?とか道中思ったりしましたw

      というか 一人だったので、誰か散歩してくれてたら 寂しくないなとか思ったりw

      原付は、発見できる余裕がなかったので見つけられませんでした。

      こちらこそ、楽しそうな歴史が感じられる廃墟があれば 情報いただければと有り難いです。
      主に、岐阜 三重 愛知 滋賀 福井がメインです(+_+)

      今後とも よろしくお願いいたします(*^-^*)

  2. 私のブログを読んでいただいていたなんて、こちらこそ感謝感激です。

    ブログの更新もほとんどしていませんが、これを機会にまた再開しようかと思いました。

    廃墟めぐりもバイクでのオフロード一人旅なので、最近は熊や害獣がちょっと怖くて行けてません。

    これまで行った廃墟で一番印象に残っているのは愛知県豊田市の小馬寺です。

    特に山門が印象的でした。

    機会があればぜひ訪ねてみてください。

    どうもありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました