いつも 絵になる廃墟を探して、撮影しています。
やっぱり、雰囲気のある廃墟って、なんか普通とは違うものを持ってる。
この、廃墟も一軒だけポツンと残されていて、
さらに有料駐車場のワンポイントが良い味出してた(*‘∀‘)
愛知県犬山市の入鹿池って 実は 世界遺産だった
愛知県のHPの掲載されていましたが、入鹿池は世界かんがい施設遺産に登録されているようです。
立派な世界遺産ですね~ 昔からよく知っているだけにビックリ( ゚Д゚)
世界かんがい施設遺産って???
文明の発達に貢献した歴史的かんがい施設を保全し、
歴史から持続可能なかんがいを学ぶこと及びその存在を幅広く広報することを目的として、
建設から100年以上経過し、
かんがい農業の発展に貢献したもの、
卓越した技術により建設されたもの等、
歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を
登録・表彰するために平成26年(2014年)度に創設された制度です。
入鹿池の凄いところ
入鹿池は寛永10年(1633年)に築造された農業用ため池ですが、
築造するにあたり、河川を締め切るために堤を築くのですが、
流れ出る水の勢いが激しく、築きかけた堤が何度も流されてしまい工事は難航を極めました。
そこで、河内国から堤防造りの名人甚九郎を招き、
棚築(たなづき)工法という工法を用い完成することができました。
入鹿池の3つある堤防のうち、この工法で築いた堤防は河内堤と呼ばれています。
入鹿池は江戸時代から歴史を持つ日本第二位のため池である。
入鹿池とは元々は三方を尾張富士、羽黒山、輿入鹿山、犬山に囲まれた盆地の村であった。
そこにはこれらの山間から成沢川(今井川)、荒田川(小木川)輿入鹿川が流れ込む、戸数160戸(48戸という説も)の村であった。
村であった所を池にするには訳があった。
元々、ここ犬山領に続く尾張東北部は、雨水をためた池ぐらいしかなく、水をめぐる村々の対立、水争いがあった。
1626年には、全国的な旱魃が起こったため、後に入鹿六人衆と呼はれることになる村のまとめ役が相談した結果、入鹿村に流れ込む川の出口を堰き止めて巨大溜池を作ろうということになった。
しかし、これほどの大工事を村のまとめ役が勝手に決められ、又実施できるはずもない。
工事の規模、費用、水門の設置なにより入鹿村農民に対する補償など問題は山積みであった。
しかし、この計画が実現すれぱ、水不足に悩むところか、この辺り一帯の荒れ地、溜池をも新田に変えられる。
そしてたまたま、周辺の村々は犬山城属だった。
犬山城は尾張国の家老、成瀬家が治める城で、尾張国主徳川義直にとても信任があつかった。
そのため1628年に開発願いを藩に提出することができた。開発願いはちょうど新田開発を推進していた藩の方針と一致し、藩の事業として実行されることとなった。
要するに、すっごい古い人工の池ってことなのか(;’∀’)
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