【岐阜廃村】約830年前から存在する谷山廃村集落へ行ってみたら、凄くのどかで素晴らしい場所であり、春の日差しを感じながら、のんびりとお茶して帰ってきた

廃虚

今回使用したカメラ

機種名  Canon EOS Kiss F

2008年 6月に発売された一眼レフカメラ。
重量約450gの軽量ボディに約1010万画素CMOSセンサーを搭載した
エントリー向けデジタル一眼レフカメラ。

非常に軽くて、お散歩にはもってこいで、一眼レフを初めて触った機種です('◇')ゞ
凄く映りが良くて、今でも中古で5000円~10000円ぐらいで手に入るためおススメです。

レンズは、SIGMA 18-200mmです。

絵になる廃墟を求めて彷徨うw

いつも、絵になる廃墟を求めて探索をしているのですが、

今回は、谷山廃村集落に行ってきました(;’∀’)

廃村には、人の営みがあったという痕跡が残っていて、

儚い雰囲気とかつては、人が灯りをともし、子供たちの走る声や

生活のための音が山の中に響き渡っていたのか思うと、

この静けさが嘘のような・・・・。

当時の情景を、今の便利な時代には無い何かを求めようと想像するのが好きですww

集落までは、車でも行けるかもしれませんが、

4WDなどのオフ車じゃないと難しいかもしれません( 一一)

僕らは、歩いて集落に向かいました。

誰もいない山道を、二人で喋りながら歩くのも楽しい(*‘∀‘)

途中には、お墓があり橋が渡されていた。

かなり、お手入れがきちんとされており綺麗なので、

集落の末裔の方がいらっしゃるのでは。(*^-^*)

これほど、山奥にあってもお国のために、

戦いに向かっていたのかと思うと頭が下がります(´;ω;`)

830年も前から存在した、歴史ある集落

『谷山集落は、建久元年(1190)で、

約830年ほど前から人が住みついたとの記録が残っています。

その後、木地師の里として生活が営まれてきました。


正安年間(1300)には、戸数70戸、太鼓踊り70曲があったと記録されており、
天明の飢饉では餓死者が続出し、集落の人口が激減しました。

明治21年(1888)には大火があり、昭和23年(1948)には、それまで電気のなかった集落に初めて自家発電(出力3KW)の灯がともりました。

昭和35年(1960)には、谷山分校舎が落成。
ただこの頃から急速な過疎化の波に洗われ、昭和42年には廃村が決定されてしまいます…』

長い歴史と文化を持っていた谷山集落ですが、

過疎化の波には抗えなかったということですね。

谷山集落への道は、主要道である県道53号線からは高橋谷に沿った狭い林道を上りつめてゆきます。
また隣村だった上ヶ流集落から林道で入ることもできます。

場所はグーグルマップで見つかります(‘◇’)ゞ

Google マップ

途中に見かけた看板。うっすらと谷山集落跡と見える気がする(老眼で見えないw)

看板を後にして、しばらく歩いて行くと

谷山集落内に入ったようで、廃墟と思われる建物を発見した(*‘∀‘)

昭和42年 1967年に廃村が決定したとあるため、

もしかすると、この建物は50年以上ものあいだ廃墟だったのでしょうか?

確かに、かなりの年数が経過したような雰囲気を感じる( ;∀;)

橋の錆び具合とその先にある廃墟

これは、絵になる廃墟と言える一枚ではないでしょうか(;’∀’)

これだけの歴史をもつ集落の痕跡が残っていて、

雰囲気だけでも感じられるのは、凄く良いと思います(;’∀’)

お城は、古くても400年前だけど、

ここは830年前だから凄い(;’∀’)

お城が存在した戦国時代にも存在していたことになりますね( ゚Д゚)

どうしても、ワサビだけは取られたくなかったんですね(^^♪

自分が見たときは、ワサビは生えていませんでしたが・・・。

何か トラックらしきものが埋まってましたw

古い空き缶を見つけると、つい撮りたくなるのが

名古屋ジャンカー&廃墟撮影者(;’∀’)

実は、この集落は鍋倉山へ登るための登山道にもなっているため

東海自然歩道が通っています(;’∀’)

自分も山登りをするため、廃村を通る道があるっていうのはテンション上がります( ゚Д゚)

この日は、鍋倉山へ向かう道は、土砂崩れ跡などがありました( ;∀;)

建物の中に眠る、古い廃車

とある廃屋のガラス戸の中に、水色の古い廃車が見えました。

建物は、今にも崩れそうで、近いうちに飲み込まれてしまうのではないかと思います。

ジープ系の形の車なので、ジムニーかと思いましたが、

車種は不明です(‘◇’)ゞ

裏に林道へ続く道がありましたので、この車で仕事に行っていたのかもしれませんね。

一通りの撮影を終えて 本題のコーヒー

今は、住んでいる人がいない廃屋の前に

綺麗なピンク色の花を咲かせる木が立っていました(*’▽’)

かつての住人の方は、この木に咲かせる花を、毎年心待ちにしていたのでしょうか・・・

「今年の綺麗に咲かせたね、そうだ、この木の下で写真を撮ろう」といった会話が

毎年のように交わされていた時があったんだろうなと思いながら、

コーヒーを沸かし、気持ちの良い日差しの中、静かな時間とともに頂きました(;’∀’)

すべてのゴミは持ち帰り、元の状態のままに帰りましたよ(‘◇’)ゞ

廃墟の中に咲く綺麗な花は、アクセントとなって、

今は、誰も住まなくなった廃屋に色どりを添えています。

本当に、綺麗で癒されました(^^♪

当時の物でかな、「仲良き事は、美しき哉」って皿がある。

この看板はかなり新しいので、住人の方が今でも手入れに来ているんだと思います。

こんな山奥の素晴らしい場所に来てまで、盗みや破壊といったことをする人が居るんですね・・・。

悲しいなぁ( ;∀;)

帰りには、有名な神社にお参りをして帰路につく

控えめに言っても、

この階段はかっこよかったです(^^♪

旧白鬚神社の参道です。
谷山集落の神社、寺院としては、白鬚神社、熊野神社の2社と、
浄土真宗本願寺派の谷山説教場が存在しました。

白鬚神社は元々、白鬚大明神と称し、祭神は猿田彦神です。

古来帖によれば、2月23日が縁日だったようですので、
ここでお祭りが行われ、子供たちがはしゃぐ姿を見ることもあったのでしょう。

谷山集落は古来より現在の揖斐川町津汲集落と交流があり、
津汲集落にも白鬚神社が存在します。
春日地区で白鬚神社があるのは上ヶ流集落のみですから、
上ヶ流集落、谷山集落と津汲集落との深いつながりがわかります。

階段を登り切った後に、後ろを振り返ると下の方にアスファルトが見えます。

この階段が如何に長く急であるかが、伝わるでしょうか・・・。

今となっては、登って来る人もほとんどいないため、

石の階段には草木が足の踏み場もないほど転がっています( ;∀;)

社殿は、無残な状態になっていますが、他の方のブログを見ると、

8年ぐらい前からこの状態のようです。

たぶん、崩れたのはもっと前のような気もしますが・・・・。

かつては、神様が祀られていた場所だとは思いますが、

今は、竹が地面を突き破り浸食し始めています。

しかし、周りの石垣は綺麗に積まれていますので、

これだけでも、一見の価値はあると思います(*’▽’)

新緑の季節に訪問させていただきましたので、

山の緑がめっちゃ綺麗でした。

木々は、50年前から変わらず生い茂っているのではないかと思い、

当時の方たちも同じ季節に、同じ気持ちになりながらこの道を通ったのかなと考えると

ちょっとぐっとくるものがありますね(+_+)

綺麗な水と、緑が気持ちよい素晴らしい場所

最後は、車に戻りブッブーと帰りました( ;∀;)

最後まで、読んでいただき

ありがとうございます(‘◇’)ゞ

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