1300年の歴史を持つ洲原神社の裏にあった廃墟。
岐阜を散歩していたところ、なんだか古い建物の廃虚を発見。
覗いてみたところ、かなり朽ちていた。
後から調べてみたところ、凄い名前の付いた有名廃墟でした。
’ 神の住む家 ’ これが、この廃虚についた名前だそう(;’∀’)
調べてみたところ、名前の由来は
奈良時代の修験道の僧で洲原神社を開いた泰澄(たいちょう)の「泰」を含む表札が見られたこと、庭先の石碑には「神入」という文字があることなどから、「神の住む家」「神の家」との通称が生まれたらしい。石碑の文字は実際は右から左に読み、「無心入神」の意とのこと。
神主家の分家の子孫が暮らしていた家、というのが真相らしい。
紅葉のアーチが出来ている入り口を通り
一歩踏み入れると、なるほどって思う。
玄関に扉は無く 開放的な状態
建物内は、多い茂った草で光があまり入らない状況
何年放置されているのか、机がひっくり返った状態で
置かれている(;’∀’)
楽園に生まれて と書かれた本が落ちていました。
調べてみましたが、よくわかりませんでした・・・。( ;∀;)
人が住まなくなって 何年経ったのかなぁ・・・
もう いつ倒壊してもおかしくない。
完全に、草木に浸食されつつあり、
近い将来、土に還るのでしょう、赤と緑が映えますね(^^♪
廃墟を見に行くと、その建物の歴史が知りたくなるのと
見た目のインパクトだけで満足と両方の気持ちを持っている。
今回の建物は、神社の神主さんの建物ではあったが、どうも直系の方ではなく
分家の方の家みたいですね( ;∀;)
なので、正確には神ではないようですが、
廃墟としてのネーミングとしては、インパクトがあって
イイかなって思いました( 一一)
洲原神社の御由緒 洲原神社は、今より約1300年前、元正天皇の御代養老元年に(西暦717年)、越前国足羽郡麻生津村、神職三神安角の二男泰澄が加賀国白山の絶頂で厳かな修行行うていられた時に霊夢を感じ、其の状を具(つぶ)さに、天皇へ奏上されたので、元正天皇より泰澄に斎鎮の勅命下り、又当社御造営使として、伴安麿に御剣一口と封戸若干、従者二人に甲胃を添えて下し賜う。養老5年5月、実に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀(まつ)り申し上げたのであります。 当社古来「正一位洲原白山」とも称(たたえ)奉り、洵に御由緒深い大社であります。 公式HPを引用させていただきました。
この大きさ分かりますか?
で、でかい!!
これを見るだけでも、非常に満足感があります(*’▽’)
この裏門が、江戸時代を感じさせ、
当時の景色を想像させてくれる
周りは、川沿いになっていて、ウォーキングするにも楽しい場所になっていました。
また、木に貼りついた緑の葉が雰囲気を出してくれる(^^♪
近くには、ハイキングコースもあったり、温泉もあるようです。
洲原神社の場所はこちらです↓
コメント
突然のコメント,失礼します.
廃墟内に落ちていた「楽園に生れて」という本が気になり,調べてみました.
国立国会図書館サーチで検索したところ,1952年刊行『リーダーズダイジェスト』7巻8号に収録されたものの断片のようです.
URL:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000023935-d1763607
国立国会図書館の利用者本登録が必要ですが,デジタル画像化された本文をブラウザ上で閲覧することが可能です.
ご参考までに.
既にご存じでしたら,ご容赦ください.