今回は、絵になる廃線跡を撮りに行こうと
初心者が出かけましたw(*‘∀‘)
今回使用のカメラ(安いカメラでどれだけ楽しめるか?が目的)
OLYMPUS CAMEDIA SP-565UZ
名古屋市港区のブックオフバザーで2400円で購入したもの。
「CAMEDIA SP-565UZ」は、
高倍率のズームレンズと最新の顔検出機能「フェイス&バックコントロール」、
高性能な画像処理エンジンを搭載した前機種「CAMEDIA SP-560UZ」の倍率を
光学20倍ズームに進化させ、気軽に高度な写真撮影を楽しむことができる
“オールインワン・カメラ”です。
主な特長
1.広角26mmから望遠520mmまでの光学20倍ズーム撮影が可能
2.1000万画素CCD、画像処理エンジン「TruePicIII」、高速連写などにより、
3.一眼レフに迫る画質と作画性を実現
4.最新の顔検出機能と連動した「フェイス&バックコントロール」を搭載
5.超望遠撮影を活かした「野鳥モード」を搭載
名鉄 瀬戸電 堀川駅~土居下駅区間 お濠電車
名鉄瀬戸線は明治44年(1911)から昭和51年(1976)まで、
名古屋城の外堀の中を走っており、「お濠電車」と呼ばれていた。終点堀川駅に向かって走る電車。
そんな旧線の廃線跡(清水駅付近〜土居下仮駅〜柳原〜土居下〜東大手〜久屋〜大津町/娯楽園〜本町〜御園〜堀川まで駅があり、市民の足として慕われていた。
撮影に向かった当日は、あいにくの雨であったが、
桜と廃線路という最高のマッチングが、
名古屋のど真ん中で撮影できるので、
楽しみ過ぎて気にもならなかったwww(;’∀’)
廃駅跡 大津町駅の階段と桜
自分にとっては、この廃駅跡 大津町駅の階段が一番の目玉
草に埋もれる場合もありますが、すっかり刈られていて
遺構が綺麗に見えます、カッコイイ(^^♪
大津橋の横から下に伸びる階段、
これが大津町駅の名残だとか。
元々は「娯楽園駅」という名称でしたが廃止され、
改修に伴い名称変更されました。
なぜ 娯楽園駅だったかというと、ここは動物園があった場所だからとか。
ビックリ( ゚Д゚)ですよね
官庁街の中でも特に県庁や市庁舎に近いこともあって、
当時は瀬戸電でも乗降客数が最多の駅だったようです。
当時の大津町は、このように瀬戸電が走っていた( ;∀;)
このモ754は、実物を今でも見られる場所があります。
それは、この記事の下の方にでてきますんで。。。。
廃線路の跡に、緑の跡がくっきり出て、奇跡としか言えない(;’∀’)
この辺りが、かつての動物園跡のようですが、
現在は、テニスコートや公園になっています
また この公園の桜がものすごく綺麗で、
インスタ映えする穴場だと思います。
夜にカップルとかで撮影するとカッコよさそう(*‘∀‘)
1961年頃の地図から、お濠電車を見てみます。
一度は乗車してみたかったし、
残しておけば観光列車として
名古屋の町に映えたと思うのにな(´;ω;`)ウッ…
OLYMPUS CAMEDIA SP-565UZで撮影した桜です。
2400円カメラですが、ボケ味も良く、
桜もキレキレに撮影できました( ;∀;)
橋のかかる基礎部分は、当時のままっぽいですね(;’∀’)
上が昔の堀川駅です。
そして、下が現在の桜が綺麗な廃線跡ですが、
駅につながる石垣部分は当時のままですね、
見比べると同じだ(;’∀’)
この桜は、旧堀川駅跡で咲いています(^^♪
こちらの古い瀬戸電の写真は、瀬戸蔵ミュージアムで
撮影OKだったので撮ってきました(;’∀’)
この電車が走っていた廃線跡となります(;’∀’)
廃線路跡を歩くと見どころがいっぱいでした
まずは、堀川駅のあった場所は公園になっていて、
素敵なハート型の砂場があります(;’∀’)
廃な絵になるベンチにも出会えます
明治44年から現存する橋にも出会えます。
上は、1972年(昭和47年)頃の堀川駅から本町駅に向かう写真
下の画像が同じ場所を遠目に撮影したもの石垣は、全く同じですね
橋の手摺りの形状は変わってますが奥に見える白いビルは当時と変わらないんじゃ。。。。?
橋の下、トンネル部分はツタが付いていてイイ感じです( ;∀;)
橋の手摺り部分は、作り変えられていると思いますが、デザインは全く同じに見える
可愛い三毛猫もいらっしゃいました( ;∀;)
ヒメボタルも居るようなので、
時期を狙えば廃駅と蛍の組み合わせで写真が撮影できるかも!?ですね
名物だった直角カーブを見たところ、すっごい90度に曲がってますw↓
上の画像は、大津町⇒土居下へ向かう電車
下の画像は、現在のたぶん同じ場所かな( ;∀;)
かつて、列車が走っていたことを想像させてくれる、
ありがちな柵も残っています。
昭和レトロなキリンレモンのプラケースが落ちていますので、
拾って帰ります(うそw)
廃線路とテレビ塔
晴れで青空ならカッコイイかもなので、次回は晴れを狙います( ;∀;)
この近くに、柳原商店街があり、
近くのお父さんに話しかけたところ、
当時の様子をたくさん聞かせていただきました。
当時の電車は、乗車の際には自分で
カギをかけないと扉が開いてしまうらしく、
カーブのたびに扉がガシャンガシャンいっていたとか(笑)
線路に釘を置いて、つぶしたものをカッター代わりにしていたとか
昭和ならではの情景が目に浮かび、
ほんわかした気持ちにさせてもらいました。
この画像で、踏切の車が止まっているところが柳原商店街です
当時の情景が目に浮かぶ貴重な写真。
お父さんが子供頃生きた時代。
下の画像は、現在の同じ場所カーブの跡は見えるが、行き止まりとなっており、
家が建っている(;’∀’)
瀬戸蔵ミュージアムで、当時の電車が現存しています(‘◇’)ゞ
せとものの大量生産で活気のあった時代の瀬戸をイメージ。
平成13年に解体された「尾張瀬戸駅」の再現駅舎や
当時活躍した「瀬戸電」にもスポットをあて、
車両モ754号を展示しています。
運転席に座ることもできるので、
鉄道ファンにも大人気!
この駅舎を起点に陶房(モロ)や石炭窯、煙突などが紹介され、
せともの屋などがある瀬戸の街を巡るように構成。
瀬戸物の大量生産で活気のあった時代が疑似体験できるようになっていますよ。
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